転職成功者インタビュー

株式会社ノーベル
小林響子さん(仮名・商品開発) 36歳

楽しくいきいきと働いている姿を子どもに見せるために。本当にやりたい仕事への転職に挑戦!

小林さんは小学2年生の子どもを持つお母さん。夫の実家がある岡山で、物流会社の生産管理や購買計画に携わっていた。だが結婚前に商品開発職でキャリアを積んでいた小林さんにとっては、「畑違い」の仕事。しかも残業が多く、帰宅するのは毎日22時ごろ。土日も家事に追われ、「毎日疲労困憊だった」と振り返る。やがて子どもが大きくなっていくにつれ、そんな働き方に疑問を持つようになったという。「楽しくいきいきと仕事をしている姿を子どもに見せてあげることも大事なんじゃないか?」。そう思った小林さんは転職活動を開始。「食の分野で商品開発をしたい」という夢を掲げ、2年間をかけてようやく巡り合えた理想の職場は、自分の地元・岐阜県にあった。「あきらめずに、夢を描くことが大事。それを今回の転職で痛感しました」と振り返る小林さんの体験談を紹介しよう。(※本記事の内容は、2022年7月取材時点の情報に基づき構成しています)

過去の
転職回数
3回
活動期間
エントリーから内定まで110日間

転職前

業種
総合物流
職種
生産管理・工程管理
業務内容
生産計画・購買計画の立案、品質管理、損益管理、設備トラブル対応等

転職後

業種
食品メーカー
職種
商品開発・品質管理
業務内容
商品(乳酸菌飲料)企画開発、市場動向調査、品質管理業務

子育てには、お金よりも大事なことがあると思った。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

株式会社ノーベルは、乳酸菌飲料と発酵乳の製造販売を行っている会社です。本社は岐阜県の笠松町にありますが、私は郡上市にある工場の商品開発部で働いています。仕事は既存商品のリニューアルと新商品の開発。その内容は多岐にわたっていて、既存商品の評価や、市場動向の調査、競合商品との比較・分析から始まり、商品の企画・設計、素材探し、試作、量産化、パッケージ表示まで、幅広く携わっています。

入社前のご経歴を教えてください。

出身は岐阜県です。地元の大学で食物栄養学を学び、卒業後は岐阜県内のスポーツクラブに就職。インストラクターと栄養士を兼務しながら、サプリの開発にも携わっていました。そのうちに商品開発の仕事を本格的にやりたくなり、飲料メーカーに転職。職種は今と同じですが、中身の開発というよりも、マーケティング寄りの商品開発をしていました。その後結婚して、夫の地元である岡山に移住しました。出産、育児に2年間専念した後、物流会社に入社して仕事を再開。工場の生産管理や購買計画などを6年間担当していました。

転職のきっかけは?

まず大きかったのは、自己実現の部分です。前職では畑違いのことを5年以上やっていたなかで、「今後もずっとこのままでいいのかな?」と疑問に思うようになったんです。お金も大事ですが、いきいきと楽しそうに働いている、そんな姿を子どもに見せてあげられる仕事がしたいと思うようになりました。もう一つは、残業時間も多かったこと。毎日21~22時に家に帰っていたので、もっと家族のために時間を使える生活にしたいという思いもありました。

転職活動はどのように進めましたか?

希望していたのは、食品に関する商品開発の仕事。食の分野で健康や幸せを提供できる仕事がしたいと思っていました。最初は岡山で探していたのですが、希望に合う求人はなかなかありませんでした。転職支援会社に紹介されるのは、電子系の部品の生産管理ばかり。それでも2社を受けることができましたが、1社はコロナ禍による業績悪化で話が流れ、もう1社は、話を聞いてみると残業がかなり多そう…。それでは前職とあまり変わらないので、こちらからお断りさせていただきました。

岡山には望む仕事がないようなので、次に、私の地元である岐阜で探すことにしたんです。ネットで岐阜の転職に強い支援会社を探し、リージョナルキャリア岐阜にエントリー。面談の後、すぐにいろいろと求人紹介していただきました。

今の会社に決めたポイントは?

やりたい仕事ができそうだということが一番ですね。ただ私自身には商品開発のブランクがあります。1から学び直さないといけないこともたくさんあるなかで、それを理解したうえで私に興味を持ってくれた点が大きかったです。

実は私からエントリーしたわけじゃなかったんですよ。担当コンサルタントが私のことを紹介してくれ、私の経歴に興味を持ってくれた先方が「会ってみたい」と言ってくれたんです。ちょうど前任の開発職が退職して、急いで後任を探していたみたいです。話を聞いてみると、機能性飲料の開発ということで、特に興味のある分野でしたし、幼い頃に祖父の家でノーベルの乳酸菌飲料を飲んでいたことを思い出し、懐かしくなりました(笑)。

待遇もこちらの希望を受け入れてもらえましたが、心配だったのは距離の遠さ。実家がある各務原市か岐阜市に住もうと思っていたので、郡上は遠いな…と。高速で1時間はかかるので、毎日の交通費が気になりましたが、計算してみて、なんとかやれるかなと、目途がついたので、入社を決めました。

好きな仕事ができるうえ、残業も激減。子どもとの接し方も変わった。

転職していかがですか?

はじめは現場研修からスタートし、商品の作り方から学びました。品質管理や菌の検査も開発時には必要になるので、その実習もしました。今も一つ一つの工程や、商品開発のプロセスを実践しながら学んでいるところです。現在は既存商品のリニューアルを担当。新規の素材を探し、ラボスケールで試作を重ねている真っ最中です。

仕事は毎日、とても面白いです。ただ経験がないので、インターネットで調べたり、業者さんに素材のことを教えてもらうこともしばしば。特に、今回の試作で何を発見したいのか、次に何を検討したいのかなど、今日行う試作の目的を考えるのはとても難しいです。迷ったときは上司に相談していますし、自分より2か月早く入った同僚もいるので、その人に相談することも多いです。職場の雰囲気もいいですよ。工場のスタッフはほとんどが地元の方なのですが、皆やさしくて、いろいろと教えてくれます。

転職して良かったと思うことは?

地元の友人に簡単に会えるのはすごくありがたいし、嬉しいですね。今は各務原に住んでいるのですが、自分の姉も近くに住んでいるので、心強いです。今住んでいる地域は学区を検討して選んだのですが、小学校の情報も姉から教えてもらいました。各務原からだと名古屋にも1時間くらいで出られますし、子どもが将来大学に進学するときも、選択肢が増えたと思います。

あとはとにかく、興味のあるもの、やりたい仕事に囲まれている、それが幸せです。仕事も任せてもらえますし、自由にやらせてもらえているので、本当にありがたいです。経験の浅い自分にとっては、毎日がほぼ未知の世界。右にも左にも、上にも下にも行けるという状態のなかで、「あれ?どっちに行けばいいんだろう?」と迷ったり、悩んだり、不安に思うこともあるんですが、そこがまたワクワクして、楽しいんですよね。そんな姿を子どもに見せたいし、「これ、お母さんが作ったんだよ!」と早く話をしてあげたいと思っています。

また、子どもとのかかわり方も変わりました。以前は仕事ばかりの生活。家に帰ってきてもイライラしていたことが多かったと思うんです。でも今は自分でも穏やかになったと思うし、余裕を持って子どもに接することができるようになりました。

困っていることや課題はありますか?

冬の雪かきです(苦笑)。各務原はあまり降らないんですが、郡上はよく降るんですよ。しかも積もる量が尋常じゃない…。郡上の皆さんは冬になると、本格的な長靴を履いて出勤。仕事が終わって帰る前には、車に積もっている雪を落として、駐車場の雪かきをして、帰るんです。私はそんなこと知らなかったから、靴が大変なことになりました(苦笑)。

また雪が積もると高速道路に除雪車が出動して渋滞もします。ですから冬は必ず天気予報を見てから家を出ないといけません。そこの感覚がなかったので、最初は困りましたね。

生活面の変化はありましたか?

夫と子どもは来年の4月に岡山から移住してくるので、今は賃貸マンションで1人暮らし。だから、自分の時間がこんなにとれるのか?と驚くくらい、自由気ままな日々を送っています(笑)。

もちろん家族に会えないさみしさはあります。でも今はテレビ電話でいつも顔を見て話すことができるので、遠さは感じません。そこはすごく大きいですね。子どもとは最初は毎日話していたのですが、最近はなかなか私の電話を取ってくれません(笑)。子どもの順応性は高いし、そうやって親離れしていくんだなぁと痛感しています。

それから、残業はすごく減りました。全くないわけではありませんが、月に10時間程度。以前は月に45時間くらい残業をして、やっと迎えた土日も家事に追われていたので、疲労困憊でしたね。今は19時には帰宅できます。食事をしたら、その後は自由時間。この時間を有意義に使うために、資格の勉強を始めました。管理栄養士の資格を目指そうかと思っています。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

今回の経験を通して、やっぱり、やりたいことをやって、自分自身を幸せにしていったほうがいいと思いました。今の時代、いろんな企業がありますし、転職を支援してくれるコンサルタントもいます。自分の可能性を最大限に活かせる場所と出会うチャンスもたくさんあるはず。だから簡単に妥協しなくていいと思います。

ただ、その前に、自分がやりたいことを明確にする必要はあります。それって結構難しいんですよね。やりたいことって、変わっていくので。でも、やりたくないことは変わらないんですよ。だから今回、私はまず、自分がやりたくないことを明確にしました。そのうえでコンサルタントの力を借り、自己実現できる職場と出会えました。

正直言うと、私も今のような仕事ができるとは、思っていなかったんです。だから妥協せずに夢を描くことは大事だと思います。あきらめたら、何も変わらない。何かを変えたいなら、少しずつでも行動していくことです。出会うタイミングは、人それぞれ違うので。私も転職しようと思ったときから振り返ると、今の職場と出会うまで2年かかりました。だからあまり期間を考えずに、何かが見えてくるまで、ずっと探し続けてもいいんじゃないかなと思います。

担当コンサルタントから

コンサルタント 
伊藤 秋則

小林さんは当社開催の転職相談会にご登録いただきました。トライ&エラーで常に挑戦される姿勢や、思いやりと責任感のあるお人柄に共感し、ぜひUターン転職をご支援したいと考えました。一方、商品開発のキャリアにはブランクがあり、その点はご本人も心配されているようにお見受けしましたが、小林さんなら微々たるブランクは克服できると考え、ご希望の商品開発職でのマッチングに取り組みました。印象的だったのは内定後のお話で、入社までに仕事の引継ぎや遠方転居があったにも関わらず、限られた時間の中でブランクを補うために資格勉強をされていたことです。小林さんの決して諦めないという気迫、そして身を切るような努力こそが、天職をたぐり寄せられた勝因であると実感しています。

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